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土地の収用を終えると、団地開発は造成作業へと進んでいく。 「造成工事では、20~30キロの道のりを、大量に砂を積んだダンプトラックが一日に何台も走ることになるので、我々は非常に心配でした。砂を撒き散らすんじゃないか、過積載で道路を傷めるんじゃないか、交通事故を起こさないか……。住友商事ではコンプライアンスや安全の基準を重視するのが当たり前ですが、ベトナムの工事会社に同じレベルまで理解してもらうのは、必ずしも容易ではありません。清掃員を雇って砂を落とした道路の掃除をしたときは、役所からも感謝されました。特に夜は事故の危険が高まるので、安全基準を抜き打ちでチェックしたり、夜間寝ずに監視にあたったメンバーもいたほどです。」と清水は振り返る。
タンロン工業団地の第一区画は2000年に完成。次の仕事は団地の販売だ。しかしここでメンバーたちの前には大きな壁が立ちはだかる。
「営業活動のために日本に戻ったのですが、ベトナムの工業団地に興味を持つ人が誰もいなかったんです。当時の私は、住友商事で一番暇な営業課長だったんじゃないでしょうか(笑)」と白石は振り返る。「その頃の日本は、金融機関の業績が悪化し、メーカーは海外進出資金の融資が受けられなかった時期でした。数少ない機会があったとしても、当時は進出といえば中国ばかりだったんです。」
知名度の低いベトナム、しかも北部ハノイなどは見向きもされなかったのだ。
「一度現地を見てもらえれば、必ずその良さを理解してもらえるのに……。」それがメンバーたちの思いだった。

メンバーたちは、不安を抱えながらもあきらめずに奔走を続けた。そしてついに、営業活動の成果が出る。日本を代表する大手精密機器メーカーがプリンター工場の進出拠点を探しており、視察のためにタンロン工業団地に来ることの説得に成功したのだ。
現地を訪れ、好環境をその眼で確かめると、メンバーたちの期待通り、このメーカーは契約へと舵を切ってくれた。「製品が全量輸出なので、工場のインフラや環境が整っていて、部品が調達でき、人が採用できるなら、工場は世界中どこでもOKだったわけです。そこでタンロンを選んでくれたというのはビッグニュース! 我々がどんなに言葉を尽くして説明するより、このメーカーさんがタンロンを選んでくださったことが、その後の営業活動にとって何よりの後押しになりました。」そう白石が語るように、これを機に、入居契約は順調に推移し、タンロン工業団地は完売した。

タンロン工業団地の成功を受け、2006年には第二タンロン工業団地の開発をスタート。そして2008年、成長を続けるベトナムへの投資ブームも追い風となり、順調に営業を開始した。ところが風向きはすぐに変わった。販売開始から約1カ月後、世界的な金融危機に襲われ、メーカーによる海外投資は再び一気に冷え込んだのだ。
第二タンロン工業団地の開発・工事から販売を手掛けた升岡裕善は、「工業団地って、完成した瞬間が一番不安になるんですよ。お金をかけた広大な敷地と立派な設備があっても、入居者がいなければ、お金は一銭も入ってこないし、造った意味がない。」と当時の心境を振り返る。
苦しい状況は約1年続いたが、世界経済の復調とともに問い合わせも次第に増加し、新たな契約も獲得。2010年春以降、第二タンロン工業団地には企業がひっきりなしに視察に訪れているという。