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2008年、メンバーの前に、プロジェクト開始以来最大の転機が訪れた。エイペックス・シルバー社の不振により、プロジェクトへの資金・人的支援の建て直しを、住友商事主導でせざるを得なくなったのだ。
プロジェクトの再建には、生産改善とコスト削減を進めなければならないが、時間が掛かる。資金面、人材面でも継続的な支援が必要で、これを唯一できる立場にあったのが住友商事であった。以降、メンバーは100パーセントの権益取得へと動き始めるのである。
技術者を抱えているわけでもなく、経験もない。しかも1千億円規模の案件である。そもそも商社が自ら鉱山経営を行うことは異例中の異例といっていい。できる、できないの議論は連日続いた。
当初から計画が遅れ、プロジェクトへの評価は決してよくない。加えて、現地の状況がほとんどつかめておらず、そこからくる不透明さが社内の不信感を招いていた。
そこでまず、当時入社1年目だった下藤充生が、現地に飛んだ。
現場の動向、操業状況を正確に把握・報告するための長期滞在だ。しかし、それは今まで誰も経験したことがなく、もちろん教科書もない。「何もわからない。とにかく一生懸命、手探りでやるしかなかった」と下藤は振り返る。

「このプロジェクトは必ず良くなるはずだ。絶対にあきらめてなるものか」。東京で社内承認取得を担っていた山﨑歩はそんな思いでプロジェクトの有望性を訴え続けた。鉱山は資金拠出が無いと操業が止まってしまうため、事態には一刻の猶予もない。会社の了承を得るための資料や企画書の準備に追われる日々が続いた。「自分自身があきらめてしまっては、周囲の理解は得られません。体力的には辛かったですが、実現を夢見て頑張りました」と山﨑は語る。
そして、次第にプロジェクトに対する社内の理解が徐々に広まっていく。100パーセント体制によるプロジェクト再建に向け全社が一丸となっていったのである。

世界的な金融危機の影響もあった。市況価格の下落もあった。ボリビアでは過去に例のない規模の投資だった。「非常にチャレンジングだが、この鉱山のポテンシャルを考えると、絶対にいくべき案件だと信じることができた」。当時ニューヨークで銀行団やエイペックス・シルバー社との交渉役を務めた原 大は言う。社外のファイナンシャルアドバイザーや弁護団、米国住商や社内の管理部隊、あらゆるスペシャリストの力を結集して、交渉にあたった。
そして2008年年末までにようやく両者との権益売買交渉が大筋合意、100パーセント取得に至ったのが翌年3月24日。この日、これまでプロジェクトに関わってきたすべての人間の情熱が結実し、住友商事による鉱山経営が名実共に開始されたのだ。

これに先立ち、一方では、徹底したコスト改善に向けた人員派遣も行われていた。鉱山事業は市況に左右されるため、コスト抑制が経営上必須である。「正直、管理されているとは言えない状態でした」と語るのは今では現地で財務経理の中核となっている長島俊介だ。早速、実態の把握にとりかかる。鉱山現場と経理チームの信頼関係を築くため、現場の声を経理チームに伝え、一方で何が現場との障害となっているかを考える。そんな橋渡し役を担うことから、次の挑戦が始まった。