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はじまりは、2005年9月。
当時、この鉱山はアメリカの鉱山会社エイペックス・シルバーが単独でその権益を保有し、立ち上げに向けて開発を進めていた。しかし、ボリビアが抱えるカントリーリスクなどにより資金調達に苦戦。単独での立ち上げが難しい状況となっていた。
そんな時である。パートナーになって欲しいと同社から提案があったのだ。
「多くの鉱山からの原料輸入を行っていた住友商事ならマーケティング面、それにファイナンス面でも的確なサポートが得られる。そういった判断があったのだと思う」。そう振り返るのは矢崎耕一郎。プロジェクトをリードしてきた一人である。リスクはあったが、すでに鉱山は建設着工し、許認可もおりていた。そのことも後押しとなり、住友商事は一部出資を決め、ボリビアでの鉱山事業へと挑戦していく。
矢崎はこう続ける。「これまで当社が携わってきた原料輸入にとどまらず、もっともっとビジネスの領域を広げたい。皆そんな思いが強かった」

プロジェクト参画後、メンバーの前に立ちはだかった状況は、想定していたよりも悪かった。資材や人材の確保がうまくいかず、サイト建設は遅延。生産がようやく開始されたのは、当初の予定より3カ月遅い2007年8月のことだった。
「この時期が一番しんどいところでしたね」と当初からのメンバーである佐竹慎二は言う。生産を開始してからも100パーセント稼働となるまでにかなりの時間を要した。機械がうまく動かなかったり、製造プロセスに必要な水が不足したりといった問題が相次ぎ、「一日おきに止まったり動いたりの繰り返しだった」と佐竹は振り返る。生産が順調に軌道に乗らなくても、資金だけは次々と必要になってくる。トラブルはそれぞれ時間をかければ解決できるという簡単なことばかりだが、すべてがうまく回り出すのは一体いつになるのかという不安が常にあった。

そんな中でも「この山は間違いなくいい山。そのポテンシャルを見ても世界有数の鉱床であるのは間違いない」佐竹はそう断言する。その強い思いが、苦難の日々を乗り越える力となった。

「ボリビアの人々の日本企業・日本人に対する印象は元々とてもよかった」。そう語るのは、現地政府との交渉を手がけていた上﨑雅也。その理由のひとつとして、ボリビアに住む多くの日系人が勤勉で実直であったこと。加えて、日本政府からのODAによる病院や学校建設、高地ならではの飲料水不足を解決する深井戸の整備といった生活の根本部分でのきめの細かい援助に対する感謝があったからだという。
地元との良好な関係の構築は、プロジェクトの円滑な進行を生む。現場が生産性を高める方法を模索するかたわら、上﨑は交渉を通じて周囲との人間関係を築くために駆け回った。「このプロジェクトを成功させるには、日本が開発の主役にならなければいけないのでは……」そう感じていたと言う。

正式な国名は、ボリビア多民族国。南米大陸のほぼ中央部に位置する国で、面積は日本の約3倍もあり、その3分の1近くをアンデス山脈が占めています。そのため、国内の主要都市の半分近くが標高2,500から4,000メートルにあり、高原の国として知られています。
一方では鉱物資源に恵まれ、16世紀から銀の産地としても知られています。最近では、世界のリチウム埋蔵量の半数を占めるとされているウユニ塩湖が注目を浴びています。リチウムは、ハイブリット自動車や電気自動車の電池の原料となる貴重な資源。住友商事でも、その採掘事業に参画するために日々取り組んでいます。

また、日本からボリビアへの移住の歴史は110年にも及び、およそ1万4,000人超の日系人が暮らしています。加えて、病院や学校建設、水道施設の整備など、長年ODA援助も行っています。その賜物で、両国は非常に良好な外交関係を構築。今後も、サンクリストバル鉱山の発展やウユニ塩湖での事業などを通じて、その絆をさらに深めていくことが期待されています。