何も起こらなければ、完成しているはずだった

インドネシア住友商事社長の兵頭誠之氏
「今や経済成長著しいインドネシアだが、1994年当初、誰1人として現在のような状況を想像することはできなかっただろう。だが、我々にはこの国の潜在力に対する確信があった」。
こう語るのは、「タンジュン・ジャティB石炭火力発電所」(TJB)1、2号機の建設プロジェクトを当初から担当した、インドネシア住友商事社長の兵頭誠之氏である。
そもそも住友商事が海外戦略の一環としてインドネシアに進出したのは、日本が高度経済成長に沸く1950年代末のこと。ジャカルタに設けた事務所を拠点に、まず日本の発電設備メーカーの輸出代行業者として、国営電力会社であるペルサハーン・リストリク・ネガラ(PLN)への電力ケーブルなどの納入から開始した。その後、水力発電所や火力発電所の建設に携わるなどインドネシアとの信頼関係を地道に築いていった。
そうした中で1994年に出会ったのが、香港系の電力事業会社(IPP)であるコンソリデーテッド・エレクトリック・パワー・アジア(CEPA)が計画していたTJB1、2号機の建設プロジェクトだ。総事業費は約2000億円、総発電容量は2基を合わせて1320メガワットと、完成すれば世界最大級の発電所となる大規模プロジェクトだった。
当時住友商事本社のプロジェクト担当者たちは、すぐさまCEPAとの建設請負契約(EPC)の締結に向けて営業を開始した。住友商事はメーカーに発電設備などを発注して発電所を建設、無事完工しCEPAに引き渡せば任務は完了、という契約である。そして1995年9月、無事契約締結に成功。住友商事は主要設備となるタービンと発電機の製造を東芝に、ボイラーの製造を北米企業のバブコック・アンド・ウィルコックスに依頼し、1997年4月に建設工事を開始した。
そして、そのまま何も起こらなければ、2年後の1999年には発電所は完工し、運転を開始しているはずだった――。










