VOL.06 Car 先輩から渡されたバトンを継承していく

1980年から8年間にわたって続いたイラン・イラク戦争、91年に勃発した湾岸戦争、そして、03年のイラク戦争──。前世紀の末から今世紀初頭にかけて、中東イラクは、世界で最も激しい戦火の中にあった国の一つである。そのイラクで、住友商事はおよそ半世紀の間、自動車の輸出ビジネスを継続してきた。戦争による混乱の続く国で、なぜそれほどの長きにわたってビジネスを続けることが可能だったのだろうか。

生まれたばかりの幼子を抱きミサイルから逃れる

自動車事業第二本部長で執行役員でもある福島紀美夫。これまで自動車ビジネスひと筋に歩んできた。「派閥、学閥、プライベートのしがらみなどが一切ないのが住友商事のいいところ」と語る。「領域を次々に超えて、常に変化していくのが総合商社です。変化する力こそが総合商社の力である。それが私の信念です」

生まれたばかりの幼子を抱きミサイルから逃れる

現在、住友商事自動車事業第二本部長を務める福島紀美夫がイラク駐在を命じられたのは、82年のことである。入社から4年。結婚したばかりの妻とともに、福島はイランとの戦争のさなかにあるイラクに渡った。

「幼子を抱きながら、ミサイルの飛んで来ない安全な場所に避難する生活を続けていました。通勤途中にある見慣れたビルが、次の日には跡形もなくなっていたこともありました」

福島はそう振り返る。住友商事がイラクにトヨタ製の自動車を輸出するようになったのは、65年からだ。福島が駐在を始めたのは戦時中ではあったものの、イラク国内のインフラ開発が隆盛を極めていた時期だった。この頃、住友商事は年間7万台の自動車をイラクに輸出していた。しかし、なぜ米国や欧州ではなく、中東だったのだろうか。福島は説明する。

「住友商事が本格的に貿易ビジネスを始めたのは、第二次大戦が終わってからです。戦前から貿易を行っていたほかの総合商社と比べると完全に後発で、欧米の先進国にはすでに他社が進出していました。だから、住友商事は新しいマーケットを開拓しなければならなかったのです。その一つが、イラクだったということです」

地理的に欧州企業のマーケットであったイラクに、性能、品質に優れた日本のプロダクトを先駆者として導入することに成功した住友商事は、イラクにおけるナンバーワン日本商社の地位を得ることとなった。福島が駐在していた82年から85年までの3年間は、その住友商事の存在感が最も発揮された時期だった。この時期、現地でともに働く日本人は、80人近くに上った。

イラクでのビジネスを途絶えさせてはならない

82年に入社した谷口雅彦。現在はアジア、中東、アフリカの自動車ビジネスを束ねる部の部長を務める。これまで、サウジアラビア、リビア、トルコ、カナリア諸島、ウクライナなどで自動車ビジネスを経験してきた。「国ごとに異なる問題に適切に対処し、何の苦もなく仕事をしているように見せる。それこそがプロの商社マンです」

イラクでのビジネスを途絶えさせてはならない

潮目が大きく変わったのは、91年の湾岸戦争からだ。イラクによる隣国クウェートへの侵攻に対し、国連は多国籍軍の派遣を決定し、イラクへの攻撃を開始した。イラク攻撃の方針をいち早く支持したのが日本だった。

「日本人は我々を裏切った──。そのような感情がイラクでは一般的になりました。日本製品がボイコットされ、自動車もしばらくの間、売ることができなくなりました」

そう話すのは、同じく自動車事業第二本部の谷口雅彦である。谷口は、99年から03年までの間、イラクの隣国ヨルダンへの長期出張を繰り返し、陸路でイラクの首都バグダッドを訪問する生活を続けた。

「イラク国内でオフィスを運営することはできず、バグダッドまでの空路もありませんでした。片道1300キロメートルの悪路を車で何度往復したか分かりません」

イラクにおけるビジネスを何とか途絶えさせずに、日本企業の信頼回復に努める。それが当時の谷口の役割だった。

「ある日突然、『自動車の商談を再開するのでバグダッドに来い』というテレックスが送られてきました。当時課長だった私は、部長とともにすぐにバグダッドに入りました。その後、無理難題を突き付けられる交渉が2週間続いたのち、戦後初のトヨタ車の契約に至りました。そのときは、本当にうれしかったですね。これで先輩方から受け継いできたバトンをまた次世代に渡していくことができる。そう思うと、胸が熱くなり、部長と一緒に心から喜びました」

先輩から受け継いできたバトン──。イラクにおける自動車ビジネスに関わってきた住友商事の社員は、しばしばその言葉を口にする。困難な中にあっても決して途切れることなく、人から人、時代から時代へと受け渡されてきたバトンをこの先も渡し続けていくこと。それが自分たちの使命なのだと。

自動車という製品を通じて国づくりに貢献していきたい

イラクにおける自動車ビジネスチームを率いる藤元信輔。92年の入社以来、中南米、スロベニア、タイで自動車ビジネスに携わってきた。「リスクが高いといわれる国でビジネスを成功に導く。それが総合商社の仕事の醍醐味の一つ」と話す。本部長の福島からタイの居酒屋でサイン入りの割り箸の袋を渡された。「これこそバトン、と考えて大切に保管しています」

自動車という製品を通じて国づくりに貢献していきたい

03年のイラク戦争によって、79年からイラクを独裁支配してきたサダム・フセインが米軍に拘束され、イラクは次の新しい時代を迎えることとなった。これを機に、それまで社会主義体制下にあったイラクに自由主義経済の仕組みが徐々に導入され、日本企業にとってもビジネスチャンスが再び広がってきた。住友商事が、イラク人スタッフによって運営されるオフィスをバグダッドに再開したのは06年になってからである。戦争が続いていた間も事務所登録を維持してはいたが、実質的にバグダッドに拠点を再開できたのは、およそ15年ぶりのことだった。

現在、イラクでの自動車ビジネスを中心で担う藤元信輔は、10年の秋からバグダッドへの長期出張を繰り返すようになった。スロベニア、タイなどでの自動車の輸入・販売を経験したのち、イラクにおける自動車ビジネスのリーダーに指名された。現在は年のほぼ半分をイラクで過ごす。

「これまでイラクに輸出した車両は、タクシー、農業用の荷台つき小型トラック、中距離走行用のミニバス、あるいは身体障害者用車両など、主に公共用途や産業用に利用される自動車でした。しかしこれからは、一般向けの自動車販売が本格化していくと見られています。現在、4店舗のトヨタサービスステーションを展開していますが、今後はさらに一般向けビジネスに注力していきたいと考えています」

自動車ビジネスは、輸出・販売によって完結するわけではない。メンテナンスや部品提供といったアフターサービスが自動車には欠かせないからだ。80年代までイラクで展開していたそのようなサービスを再び本格化させながら、現地の人々に日本の技術を供与していくこと。さらに長期的には現地生産を実現し、雇用を生み出しながら、日本ブランドの自動車をイラクにより深く根づかせていくこと──。それがこれからの目標であると藤元は話す。

「イラクは今、新たな国づくりの過程にあります。自動車という製品を通じて、その国づくりに貢献していきたい。そして、日本製品の素晴らしさをより多くのイラクの人々に知っていただきたい。それが私たちの願いです」

ビジネスを継続させた商社マンのプライドと情熱

ビジネスを継続させた商社マンのプライドと情熱

世紀をまたいで、世界で最もビジネスリスクの高い国の一つであり続けたイラク。その国で、住友商事が自動車ビジネスを継続することができたのはなぜか。

「商社マンとしてのプライドがあった。それに尽きると私は考えています。住友商事は総合商社としては後発ですが、イラクではナンバーワン商社の地位を獲得しました。そのポジションを手放すわけにはいかない。何とかビジネスを継続し、あの国の発展に役立ちたい。代々の社員のその強い思いによって、バトンがつながれてきたのだと思います」

福島はそう話す。一方、イラクという国の魅力を要因として上げるのは谷口だ。

「イラクは文化水準が高く、情に厚い人たちの多い素晴らしい国であると感じています。私たちは何人ものイラク人と友人になることができました。その関係をこれからも何とかして続けていきたいと思っています」

バトンは現在、藤元が率いるチームの手元にある。そのバトンをさらに大きく育て、確実に次の世代に引き継いでいくのが藤元らの役割だ。

「イラクで自動車ビジネスに関わってきた先輩方はみな、あの国で働くことの醍醐味を熱く語ります。私自身、脈々と受け継がれてきたその情熱が今、自分のものになっていることを強く感じています。その情熱こそが、イラクでのビジネスが継続してきた一番の理由なのではないか。そう私は考えています」

歴代の担当者たちによって熱く握られてきたバトンを、次の世代に渡すときがいつかやって来る。その日まで、藤元たちの戦いは続いていく。

(敬称略)

第1回 Fact 農薬
第3回 Fact 医療
第4回 Fact 太陽光/風力発電
第5回 Fact 商業施設
第6回 Fact 自動車
第7回 Fact 地熱発電
第8回 Fact 航空機リース