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広報パーソン 世界探訪記

「アジアのラストフロンティア」と呼ばれる国、ミャンマー

  • ミャンマー
  • 環境・インフラ事業部門
  • 電力・エネルギー
  • 輸送機・運輸

2014年2月掲載

報道チーム 安藤 萌

2013年入社の広報部員。現在は、環境・インフラ事業部門内の物流保険事業本部と人事関連を担当。自身にとって初の東南アジア訪問が、初出張でのミャンマーとなり、勝手に同国にご縁を感じている。夢は世界各国を訪れて友人の輪を広げつつ、各地のおいしいものを味わうこと。

インドシナ半島の西部に位置し、ラオス、タイ、中国、インド、バングラデシュに囲まれたこの国は、日本の約1.8倍の面積を持ち、人口は6,000万人を超えている。実質国内総生産(GDP)は毎年拡大しており、2012年は成長率6.5パーセントと、著しい経済成長をたどっている。

住友商事は、この国を中期経営計画における全社育成地域として掲げ、日本政府の無償資金援助による、「緊急通信網整備計画」や「全国空港保安設備整備計画」を受注し、また、日野自動車正規サービスステーション事業などに出資参画している。中でも、ティラワ特別経済区 Class-A開発事業は、三菱商事、丸紅と合同で出資参画しており、ミャンマーと日本における官民一体のプロジェクトとして注目を集めている。国内外から注目を集める同国に、2014年1月初旬、初めて訪問する機会を得た。

ミャンマーと日本

1月初旬、小雪のちらつく日本から、気温30度を超えるミャンマーに向かった。私が乗った成田-ヤンゴン直行便は、一日一回運航しており、機内にはビジネスパーソンと思しき乗客が多かった。ヤンゴン国際空港における海外からの渡航者数は2012年では年間72万6,817人、うち日本人はタイに次いで二番目に多く、6万6,772人(総数の約一割)という統計もうなずける。これだけの数の日本人がミャンマーを訪れる理由は何なのだろうか。

主な理由の一つは、2011年にテイン・セイン現大統領が就任後、ミャンマーが民政移管を果たして、民主化が進んだことだ。これがきっかけで欧米による経済制裁が解除され、日本政府も政府開発援助(ODA)を再開した。その結果、多くの関係者が再びミャンマーの地を訪れるようになり、日本人入国者の数が増加している。また、今後、ミャンマーの市場に外資系企業が進出を図る際に重要な足がかりとなる、駐在員事務所の設置も急速に進んでいる。

路上でトウモロコシを売る親子。日焼け防止効果のあるミャンマーの伝統的な化粧品、タナカを顔に塗っている

一般的に製造業の企業が新興国に進出する際、まず製品の輸出拠点を置く。その後、市場が成熟してきて国民のGDPが高くなるとその国の消費者を増やすべく販売活動を行い、地産地消のビジネスモデルができる。例えば、タイにはかつて、多くの外資系企業が進出し、生産拠点を持っていたが、現在ではタイのGDPの上昇とともに人件費が上がり、タイ人向けの製品の販売が増えているという。2012年時点でタイとミャンマーの製造業・作業員の一カ月当たりの基本給を比較すると、タイでは345米ドル、ミャンマーでは53米ドルというデータがあり、ミャンマーは今後東南アジアにおいてタイに代わりうる新たな労働集約型企業の受け皿として注目されているという(※1)。これこそが「ラストフロンティア」と称されるゆえんである。

※1 2012年度「在アジア・オセアニア日系企業活動実態調査」


もう一つの理由は、ミャンマーと日本の長きにわたる良好な関係性が挙げられる。日本とミャンマーの友好関係のきっかけは、第二次世界大戦の際に、国民の慕う「ビルマ建国の父」アウン・サン将軍達を日本が援助したことに始まる。戦後早い段階で国交正常化が成立するなど、歴史的にみても両国は友好的な交流が多かったといえる。そして今年2014年は、ミャンマーと日本の外交関係樹立60周年という記念すべき節目の年であり、安倍首相を筆頭に日本政府の強い後押しもあって、日本企業が積極的に拠点設置を加速させている。この背景も、日本からミャンマーへの渡航者を増加させる理由となっている。

住友商事は、最近のミャンマーブームが起こるもっと前の、1950年代からミャンマーでのビジネスを開始した。政府間の戦後賠償に基づく、トラック・バス関連ビジネスが発端となり、ヤンゴン事務所が設立され、ここからさまざまな事業を手掛けるようになっていった。1年半前まで駐在員一人だけの事務所であったが、2013年は駐在員だけで11人にも達し、活況を呈している。

ヤンゴン事務所長の妻鹿 英史らヤンゴン駐在員との夕食

ミャンマー人の人柄

この滞在中、ミャンマー人の人柄の魅力を感じた。ヤンゴン市内のシュエダゴン・パゴタを訪れた際、ミャンマー国民の仏教に対する信仰の深さに驚いた。自分の生まれた曜日にそれぞれ守護神がおり、その祠に花を供えたり、像に水をかけたりして、熱心に祈っていた。現地で話す機会があったミャンマー人の女性は、仏教の周期で菜食期間を設けることがある、と教えてくれた。食習慣を変えることは非常に労力のかかることだと想像できるが、信じる道のためにその労力も厭わない様子からは、真面目さがうかがえた。

通算ミャンマー駐在歴13年のネピドー出張所所長の倭(ヤマト) 昌輝にミャンマー人の魅力を聞くと、「非常に温厚な性格で、言葉が通じない中でも親切にしようとしてくれているのを感じる。心優しいミャンマーの人達のために、大いに役に立てるような仕事をしたい」と語ってくれた。
ミャンマー人の親しみやすい笑顔とたおやかな態度は少しの滞在期間でも、とても心地良く、ぜひまた来たいと感じられた。

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    シュエダゴン・パゴタの内部。パゴダは仏塔という意味

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    筆者の誕生曜日・水曜日(午後)の守護神、牙のないゾウ。
    他にも、モグラやトリなどの守護神が各曜日に存在する

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    手前右からネピドー出張所所長の倭、ヤンゴン事務所副所長の茂木 敏男。
    現地のレストランスタッフとの一枚

ティラワ特別経済区 Class-A開発

そんな中、新たなプロジェクトとして注目を集めているのが、ティラワ経済特区 Class-A開発だ。
ティラワ経済特区は、ヤンゴン市内から車で1時間程の場所にある。交通渋滞の起こるヤンゴン中心部から離れるにつれ、徐々に車と建物の数が減っていき、建設予定地に近づくと、高床式の住居がまばらに見える程度になる。放牧されているヤギや水牛の牧歌的な風景に目を奪われていると、広大な工業団地の建設予定地に到着する。現地では、2013年11月末に鍬入れ式が行われてから、急ピッチで開発が進められており、約50台のダンプカーやショベルカー、ロードローラーなどが稼働し、開発予定の土地をならす作業に着手していた。
ミャンマーは3つの季節があり、10月~2月が最も快適な乾季、3月~4月は気温と湿度が上昇する暑季、5月頃からは雨季が始まる。現地責任者で住友商事海外工業団地部の梁井 崇史は、作業効率を考慮して乾季の間にどんどん作業を進めるという。私が滞在した1月は快適とされる乾季だったが、それでもヘルメットをかぶった額から汗が流れる暑さだったので、梁井の言葉に強い説得力を感じた。

急ピッチな工期でも、建設には高い品質を維持する必要がある。梁井の語った、「工業団地ビジネスにおいて重要なことは、その国の土地を“お借りしている”という認識を持ち続けること」という言葉が印象に残った。納期に追われて目前の作業に着手するのではなく、長期的な視野を持ってミャンマーのためになることを考える必要があるという。例えば、公害を出さないために、きちんとした排水基準を設けたり、転売目的で土地を購入しようとする企業を見極めたり、本当に製造業を運営したいと考えている企業に入居してもらって初めて、ミャンマーのためになるという。
ティラワ経済特区に工業団地が完成したら、入居メーカーに生産の場を確立することができると同時に、ミャンマーの人に働く場を提供することができる。今はまだ更地だが、これがあと一年余り経てば、インフラが整い、土地が引き渡され、工場が建つ。その工場内でたくさんのミャンマー人が働いて、ティラワ工業団地がミャンマーの経済を支える生産の拠点になる様子を想像すると、完成がとても楽しみだ。「工業団地ビジネスはとてもやりがいのある仕事。ミャンマーの人には良い雇用の機会として、同時に入居メーカーからは、ティラワに入居して良かった、と思ってもらえるような仕事がしたい」と話した梁井の言葉はとても力強く、ミャンマー人の笑顔がティラワの土地で見られるようになると確信した。

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現在はティラワ経済特区 Class-Aを開発中

海外工業団地部の梁井。現地の責任者を務める

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